マジョリティこそが幻想!? 〜浅生鴨『伴走者』・小野美由紀『メゾン刻の湯』出版記念トークイベント・レポート その4〜

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浅生鴨さんと小野美由紀さんの出版記念トークイベントまとめ記事ですが、金曜日に続いて第4回目の記事ですよー。

今回は、浅生鴨さんと小野美由紀さんがマジョリティ・マイノリティーという言葉に感じる違和感について語っています。

『伴走者』『メゾン刻の湯』ともに、献本プレゼントをさせていただいた作品なのでお読みになっている方も多いかとは思いますが、未読の方はぜひ両作を読んでからの方が楽しめると思います! 最高に面白い本です!

実は「マジョリティ」なんていない

浅生 あと『メゾン刻の湯』にはキャラがたくさん出てくるじゃないですか。これは大変じゃないですか。

小野 大変でした、本当に。

浅生 多様性というものを言うためには、これだけの人が必要なんだろうけども。

小野 最初に、この銭湯を舞台にしたシェアハウスの話にしようと思いついた時に、一番最初の大学の卒業式のシーンと、真ん中のリョータくんの教室のシーンと、最後のクラウドファンディングのシーンの3つを思いついて、その間を埋める感じで書いていきました。で、登場人物もその時にスルスルスルってこういう感じかなって出てきたんですけど。出しちゃった後でなぜ出しちゃったんだろうって。「なぜ頭の中に生まれてしまったのだ、お前は」みたいな感じがすごいありましたね。

登場人物にハーフの女の子だったり、義足の男の子だったり、ジェンダーに関して葛藤を抱えてる男の人が出てくるんですけれども、それに関しては確かに登場人物に多様性をこれだけ出したら、「多様性を書きたくて出したんでしょう?」と言われると思いますし、そういう気持ちもあるんですけど、私の頭の中では、シェアハウスに住んでいた経験から七人いたらこれくらいの割合でマイノリティと呼ばれる人たちはいるだろうみたいな感じで、スルッと出てきて。

私が住んでいたシェアハウスにもホストの男の子だったり、アメリカ人の留学生の子だったり、19歳の学生だったり、あと65歳のおじいちゃんも住んでいたりして。本当にバラバラな人たちが一緒くたになって暮らしてたので。これぐらいバラけることが本当に実感通りで。「今の世の中だったらこれぐらいかな」みたいな感じで配置したというか。

浅生 マイノリティっていうけども、マイノリティという括り方がもうすでにメジャーな括り方になっちゃっているから。それは、変な言い方なんだけど、そういう括り方で言うとしたらマイノリティ的な人は20%近くいるわけで。もう括った時点でマイノリティじゃないからなんか変な感じなんだけど。

僕が昔作った広告で「30年後の同窓会」だったかな「40年後の同窓会」だったかな。ひとつの教室にそのクラス出身の人を40人全部入れて、写真を一枚取るとどうなるか、ということをやりました。

すると、大金持ちになっている人が1人いて、親の介護をしなきゃいけなくて破産寸前の人が2人いて、事故で体に障害が残った人が1人いて、みたいな。統計から分析してどういう人がいるのかっていうことを40人に当てはめて、全員にその通りの衣装を着せてポスターを作ったことがあります。そうするとね、いわゆる平均的な「マジョリティ」と呼ばれる人達って半分もいないんですよね。みんな何かしらあるっていう。

小野 そうなんだ。

浅生 だから実はマジョリティっていないんじゃないのって。思い込んでいるだけで、一個一個比べていくと、「私はすべてにおいて平均である」みたいな人はいないわけじゃないですか。むしろ、多様性っていうよりマジョリティーこそが幻想というか。そんな幻想にぶら下がっていないで、自分の特徴とか特技とか、あるいは苦手なものとかを、早めにわかった方がいいんじゃないのって。

だって、この会場にいる50人の中にも、それこそ見える障害の人もいるし、見えない障害の人もいるし、たぶんLGBT の方もいらっしゃるだろうし、50人集まっただけでいろんな方がいるわけですよね。だから、あんまり殊更何か気を使わない方がいいというか、逆の意味で気を使うというか。そんな気はしますよね。

小野 そうですね。

浅生 本当に、マイノリティ性を抱えてない人の方がむしろ少なかったり、少ないっていったら乱暴ですけど、本当にマイノリティ性を抱えていない人ってそんなにいっぱいいるかなーとかと思っちゃうし、

『メゾン刻の湯』にも何か問題を抱えていない人は1人もいないわけじゃないですか。街の人も含めて全員が何か持ってる。そこがリアルだなって気がするんですよね。

小野 そうですね。多様性をテーマに一応はしていて、登場人物一人一人にスポットライトを当てて書いてはいるけど、多様性やマイノリティ性に苦しんでる人を書きたかったわけではなくて、マイノリティ性を抱えている人たちが当たり前のように暮らしている風景を書きたかったなっていうのがあります。

登場人物の戸塚さんも好々爺みたいに書かれてるけど、最後の方ではダメ親父っぷりが明らかにされたりとか。なんかそういう何かしら瑕疵みたいなものがある人たちが集まってそれでも一緒に暮らしていける図みたいなのが書きたかった。

いまのクラスの話を聞いてふと思い出したんですけど、私もマイノリティだなって気づいたことが一個あって。私、非嫡出子なんですよ。いわゆる妾腹の子なんですけど、そのことを日常生活の中では忘れているんですよね。

だから母はシングルマザーとして私を育ててくれたんですけど、小学校の父の日の作文のときに、父について書いていったんですよね、そしたら先生が「小野さんはいいから」って言って発表の順番を飛ばされたんですよ。。別に一緒に住んでないけど存在はしてるんだけどなあ、みたいなそういう感じで。しかも父がどういう人かも知ってるし。子供心ながらにすごくもにょったんです。

最近、Twitterで流れてきたデータで、非嫡出子の割合のグラフみたいなものが出ていて、そしたら社会には非嫡出子が2%いるんですよ。2%って50人に1人じゃないかって思って。だって、学年に6人は居たわけじゃですか。高校生の時とか父親がいないってことをそれなりに気にしてたんですね。でも、こんなにいるんじゃんと思ったんですよ。「言ってよ、早く」って気持ちになったんですよ。もう6人いたらそれって仲間じゃんって。

だから、そういう自分のマイノリティ性が可視化されて、でも同時に仲間がいるっていう風に思えるようになってきた今の世の中っていいなっていう。ツイッターとかでも SNSとかでも仲間を探すっていうのは結構なって思っています。

浅生 なんだろうな。網の目が細かくなったというか、解像度が高くなったというか。たぶん30年前に人が集まって一箇所で暮らす物語を書きますってなった時に、『メゾン刻の湯』のようなマイノリティ性のある人たちがそんなには集まらなかったような気がするんですよね。でも、いまリアルに7人集めたら「みんな、何かしら抱えているじゃん」っていうことにきっとなる。ただ、実際にはそんなにマイノリティ性のある人たちの割合が増えているわけではない。そんなにその割合が変わっているとは思わない。

僕たちの解像度が高くなったというか。ちゃんと見えるようになった。それは凄くいいことだなって。『メゾン刻の湯』を読んだときに「みんな、そうだよね」って思ったんですよ。それがリアルだなって。

リアルさを追求するための取材はやったんですか?

小野 結構させていただきました。いまここに来ていらっしゃるんですけど。目の前の席にお座りになっている野田さんとか。

浅生 僕も取材した野田さん。

小野 義足の登場人物のお話を書くために、ウソがないようにしたかったので、生活の中の動作の仕方について知りたかった。座り方ひとつとってもこうだよってことを知りたかったのでそれを聞かせてもらったりとか。

あとこれは取材ではないんですけど、住んでいたシェアハウスの中にチェコと日本のハーフの女の子がいて、その子が「今日、居酒屋で、ハーフの女の子2人で日本酒を飲んでいたら”ハーフなのに日本酒飲むんだね”って言われたんだけど、そんなこともう百回は言われたわ!」みたいな感じのことを言ってきたりとか。そういうハーフの子が普段どう感じているかみたいなことは肌感覚というか日常の中で聞いていて。それが書くときの元になってる思います。

浅生 リアルとリアリティでまたちょっと違うけど、多分そういうことが、この本のリアリティに繋がってってるんだろうなぁと感じはします。

(その5は本が好き!通信にて2018年4月17日公開予定)

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