本が好き!通信でも、連載形式でお届けしてきた、「翻訳者と話そう!×本が好き! 翻訳家・和爾桃子の世界」。3月3日(土)にトークイベントが梅田蔦屋書店にて開催されました。当初の席数を増席しての盛況なイベントとなりました。トーク内容は後日記事にしてお伝えするので、お楽しみに。
イベントに際して、掲示板ホンノワにて実施した、和爾桃子さんへの質問箱。
レビュアーのみなさんから寄せられた質問に、和爾さん本人から回答をいただきました!
それでは早速お届しますので、どうぞお楽しみください。
和爾桃子さんへの質問箱 回答編
〈和爾桃子さんについて知りたい!〉
【質問】和爾さんは、たくさんいろいろなことを御存知ですごいなあと思います。1ヶ月にどれくらいの本を読まれますか?(質問者:リンコさん)
和爾桃子さんの答え
そう思ってくださってありがとうございます。二十歳ぐらいまでは十冊以上読む日が普通でした。特に速読などはしませんが、一歳になる前から本を読んでいるせいか、わりと速いようです。年を取って目が悪くなってからは、それほどでもありませんが。
【質問】外国に頻繁に行かれるのですか?(質問者:リンコさん)
和爾桃子さんの答え
いえ、あまり。数年おきぐらいでしょうか。行きたい場所はたくさんあるのですが。
【質問】翻訳家は、うちにこもる職業かと思いますが、何か和爾さんならではの気分転換はありますか?(質問者:リンコさん)
和爾桃子さんの答え
家事ですね。体を動かさないとエコノミー症候群になりやすいので、煮詰まった時はなるべく掃除や料理をしています。気分を一新したい時は花を活けます。周辺に自然が多く、カワセミや鷹やオニヤンマなどの昆虫や野鳥が自宅のベランダにいつも遊びにきてくれ、眺めていると飽きません。
〈翻訳という仕事のやりがい〉
【質問】今まで訳した作品の中で最も苦労したものはどれですか?また、一番の自信作は?(質問者:リンコさん)
和爾桃子さんの答え
デビュー作の『鳥姫伝』に始まり、どれにも苦労はあります。狄判事もまだインターネットがない頃に訳し始めたので、調べ物が大変でした。朝から晩まで図書館漬けで、いっそ住めたらいいのにと思ったほどです。最近ですと、子供がいないので『ささやかで大きな嘘』のママや子供の言葉遣いをつかもうと、近所の公園に何時間も粘っていたら不審者扱いされそうになりました。
自信作をあげるのは難しいですが、やはり訳者としては最近の仕事を読んでいただきたいですね。サキ、『ささやかで大きな嘘』、『エルフ皇帝の後継者』、狄判事、バンコランなどですが、私自身の好みはコミカルな作品や歴史小説で、絶対の自信があるのはおいしそうな料理描写です。
【質問】私はこの作家(作品)を紹介するために生まれてきたのかも!と感じるような、運命の出会いを経験されたことはありますか?(質問者:ぴょんはまさん)
和爾桃子さんの答え
狄判事では、何度か不思議な経験をしています。いくら調べても解決しない問題が出るたびに、いきなり何かに押されるようにフラフラ神保町へ出かけ、まったく無関係な書籍コーナーに勝手に足が向き、関連も関心もないのにその辺にある本を手に取ってふと開けてみたら、必ずそこに答えが書いてありました。当時は必死だったのでさほど奇異にも感じませんでしたが、よく考えればありえない事態ですよね。
詳細は省きますが、サキ『平和の玩具』収録の書簡集は掲載自体が奇跡で、ボドリアン図書館各位はもちろん、横山學先生、藤原編集室さん、白水社の藤波健さんはじめ、ご尽力くださった方々にはただただ感謝しております。私事ですが、この機を逃せば日本でいつ紹介できるかわからなかったので、急を要する手術をあえて後回しにしてオックスフォードとの交渉を続行しました。
「そのために生まれてきた」…どうでしょうか。ただ、作家の遺志が何らかの形で訳者を選んでいたとすれば、前記ふたつはその典型例ではないかと思います。
〈翻訳本が出版されるまで〉
【質問】翻訳する本の決め方は、出版社から企画が持ち込まれるのか、これはいいと思った本の翻訳を出版社に打診してみるのか、それともほかの方法なのでしょうか?(質問者:SETさん)
和爾桃子さんの答え
どちらも経験していますが、どうしても訳したい本はおおむね自分で企画持ち込みしています。サキや『ドラゴンがいっぱい』など、魅力的なお話が向こうから来てくれることもありますので、半々ぐらいかな。狄判事は完成稿を持ち込みました。ただし断られたり、先を越されたりする場合も多いですね。だめならご縁がなかったと割り切って、さっさと気持ちを切り替えています。
【質問】翻訳家としての実績が何もない時代、はじめて手掛けた仕事と、それがどのように次につながったのかというような話を伺いたいです。(質問者:SETさん)
和爾桃子さんの答え
実績がなければ、ただ待っていても始まりません。さきに申し上げたように狄判事は完成稿持ち込みで、紆余曲折を経て早川書房でお引き受けいただいたさい、交換条件として訳してほしいと提示されたのが『鳥姫伝』でした。翻訳者がなかなか決まらなかったというお話にたがわぬ難物でしたが、新人が仕事をえり好みしていたら次はないと思います。その後しばらく中国ものが続きまして、西洋ものを手がけさせていただくまで十年ほどかかりました。
【質問】翻訳家になるには、どんな資質が必要でしょうか?(質問者:ぴょんはまさん)
和爾桃子さんの答え
どの職業でも欠かせませんけど、集中力と体力と忍耐力と柔軟性。調べ物が大好きで、日本語の文章表現力と語彙力があること。黒子に徹する心構え。
いい編集さんは細かく指摘してくださいますが、その指摘や提案を丸呑みするだけでなく、最短時間でさらに工夫を凝らしてもっと洗練された表現にして投げ返す。そのキャッチボールの過程で両者が思いもかけなかった表現を生むには、瞬発力が肝腎です。初訳の完成度は大事ですが、訳者の意図より版元の方針のほうがおおむね現場では優先されます。訳語を変更してほしいと言われたら即座に五つぐらいの代替候補を挙げられなくては、本職の書き手として語彙不足でしょう。
〈アンリ・バンコランシリーズについて〉
【質問】和爾さんが翻訳されたカーのバンコランシリーズの大ファンなのですが、どのような経緯で新訳に挑まれることになったのでしょうか?(質問者:かもめ通信さん)
和爾桃子さんの答え
いつもありがとうございます。バンコランは「ただしイケメンに限る」を体現した超絶美形なのに、なぜか日本ではその点をないがしろにされている不憫なキャラです。美中年は文化の華、美老人は地球の宝という自説を、このさい声を大にして申し上げたい。
バンコランは藤原編集室さんのお声がかりで依頼いただきました。私は本来の年齢より二世代ほど上の明治末期~大正初期ぐらいの言語環境で育っておりますので、時代背景に適合したレトロな訳語を当てやすいだろうと思われたのが一因かもしれません。
【質問】既に別の翻訳がある「新訳」と、ご自身が初めて日本語で紹介される「初訳」とでは翻訳にあたってなにか違いがあるのか、あるとしたらどんな点なのかといったことを伺ってみたいです。(質問者:かもめ通信さん)
和爾桃子さんの答え
有名な作品の場合ですと、読者に配慮して訳語をそろえたりしますが、翻訳作業自体に違いはありません。私は先行訳に引きずられるのが嫌で、下訳が終わるまでなるべく見ないようにしています。原文と自分の間に他者の目を入れると、どうしても歪みが出てきてしまいますので。
〈サキシリーズについて〉
【質問】和爾さんにとって、サキはどんな存在ですか?今回訳された4冊の中で、一番好きな作品はどれですか?その理由も教えてください。(質問者:ぴょんはまさん)
和爾桃子さんの答え
私にとってというよりも、サキにとっての私がどんな存在かというほうが重要な気がします。それくらい「乗っ取られ感」が強かったです。訳者として会心の仕事は黒子かイタコに徹した時だろうと思いますが、本質が東洋思考と通底していたサキにとって、それなりに使い勝手のいいイタコになれたかなという気がします。
ご質問はサキのどの面が好きかというのと同義で、選ぶのは至難ですが、「聖者と小鬼」を。東洋と西洋のあわいにあって、どちらでもあり、どちらでもない禅味をたたえた一篇です。
【質問】サキの作品で、一番好きな登場人物は誰ですか?どんなところが好きですか?(質問者:ぴょんはまさん)
和爾桃子さんの答え
クローヴィスですね。一度でいいからあれほどスカッと言い返してみたいと思われませんか?
【質問】サキを訳していて何が難しかったですか?どんな工夫をなさいましたか?(質問者:ぴょんはまさん)
和爾桃子さんの答え
まずは、百年前後の時間を翻訳でどう処理するかが問題でした。いかにもな古典訳で無難にやりすごすか、それともリスクを冒してでも、時を超えた作家の本質を際立たせたいのか。
サキの先見性と普遍性は、戦争や政治などの問題に必須の視点を提供してくれます。加えて、東洋の無常観に近い感性の持ち主です。そこを主眼に据え、日本で人気の高い英国貴族の生活などはなるべく抑えた説明にとどめました。さらに用語をあえて若い世代向けにし、作品本来の笑いになるべく近づけるよう努めました。それ以外は逐語訳といっていいほど原文を優先しています。
海外翻訳小説の立役者でありながら、裏方の存在ゆえに表にでることの少ない翻訳者。和爾さんの回答を読むと、原作と翻訳者との間には、不思議な縁があるとしか思えません。
そして言葉を扱うプロとしての矜持も感じることができました。
ご質問いただいたみなさま、ありがとうございました。
トークイベントの記事も、どうぞお楽しみに!
(東郷)